沿革

左から、文部省への申請書の原本、社団法人の文部省発行の許可書、初期の議事録

1945年(昭和20年)
「内外の優れた陶磁器を研究し、顕揚し、保存しようという意図のもとに」新組織を立ち上げるべく、古陶磁研究者の佐藤進三、満岡忠成、田邊加多丸、磯野信威らが会合を持ち、小山冨士夫、広田煕、佐藤進三、満岡忠成ら8名による準備委員を選出。新組織の名称は、小山冨士夫の提案で「日本陶磁協会」とし、奥田誠一、尾崎洵盛、小林一三、松永安左ェ門を顧問とした。
1946年(昭和21年)
1月、日本陶磁協会を結成。
3月、『陶』第一号を発刊し、創立宣言、協会誕生記を掲載。
1950年(昭和25年)
10月、文部省(当時)より社団法人の認可を受ける。設立代表者、瀬川昌世。
1953年(昭和28年)
初代理事長に梅澤彦太郎(日本医事新報社社長、日本出版協会会長)を選任[~1953~69年]。顧問:尾崎洵盛、奥田誠一、小林一三、団伊能、松永安左衛門、理事:伊藤祐淳、磯野信威、大屋敦、小田栄作、加藤唐九郎、加藤土師萌、久志卓眞、黒田領治、小山冨士夫、小森新一、佐藤進三、篠原三千朗、陶守三思郎、瀬川昌世、瀬津伊之助、田澤坦、田中作太郎、鷹巣豊治、内藤匡、中村一雄、中本守、広田熙、堀口捨己、繭山順吉、満岡忠成、森村義行、保田憲三。
4月、『陶説』を創刊。協会主催展観「織部」「清朝陶磁」。
1954年(昭和29年)
加藤土師萌の提案によって、「毎年その年の最も優秀な焼物を作った」新進作家2名、または3名を選んで表彰することを決議。委員は理事のなかより新作陶器に関心の深い、加藤土師萌、加藤唐九郎、小山冨士夫、黒田領治、佐藤進三、内藤匡の6人が当たり、議論同数の時は理事長の梅澤彦太郎が決を採ることとする。
4月、第4次定時総会。協会主催展観「乾山」「古九谷」。
[この年の出来事]
3月、第1回無形文化財日本伝統工芸展開催。
5月、文化財保護法改正、従来の無形文化財は白紙となり、新基準による重要無形文化財指定の制度が生まれる。
1955年(昭和30年)
3月、熊倉順吉、清水卯一、加藤嶺男(のち受賞を辞退) が昭和29年度、第1回日本陶磁協会賞に選ばれる。
4月、第5次定時総会。協会主催展観「古唐津」「上野」。創立10周年記念、協会主催「宋磁名品展」(日本橋高島屋)開催。
[この年の出来事]
2月、石黒宗麿、荒川豊蔵、浜田庄司、富本憲吉が重要無形文化財保持者(人間国宝) に認定される。
5月、国指定重要無形文化財日本伝統工芸展開催。
8月、社団法人日本工芸会設立。
10月、黒田陶苑主催による日本陶磁協会賞3人展を壺中居にて開催。
1956年(昭和31年)
4月、第6次定時総会。協会主催「元明名品展」(日本橋高島屋)開催。
[この年の出来事]
金重陶陽、重要無形文化財保持者に認定される。
1957年(昭和32年)
4月、京橋竹葉亭にて受賞作家の表彰式を行う。第7次定時総会。
1958年(昭和33年)
3月、協会主催の岐阜県中津川市周辺の窯跡(鎌倉から江戸時代)の発掘調査。
4月、第8次定時総会。秋、第5回日本陶磁協会賞より「日本陶磁協会賞受賞作家展」開催を決議。協会・日本経済新聞社共催「日本陶磁史名品展」(日本橋高島屋)で開催。
1959年(昭和34年)
1月、協会主催「やきもの教室」が白木屋5階画廊にて始まる 。第1回は「古九谷」がテーマで、以後、第40回(1965年)まで開催。
4月、第9次定時総会。
5月、協会主催「柿右衛門 伊萬里 鍋島」展
6月、第1回日本陶磁協会賞受賞作家(11人) 展を日本橋三越工芸サロンにて開催。開催中、高島屋5階貴賓室にて受賞作家の表彰式を行う。
やきもの教室2「万暦赤絵」、3「高麗茶碗」、4「古染付」、5「李朝陶磁」、6「織部」開催・冊子発行。
1960年(昭和35年)
4月、第10次定時総会。協会主催展観「伊萬里・柿右衛門・鍋島」。
6月、第2回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
11月、河本五郎(瀬戸) の協会賞受賞を祝し、名古屋丸栄にて日本陶磁協会賞受賞作家展を開催、高橋茂、本多静雄、加藤嶺男、大樋年朗、松風栄一、田村耕一、河本五郎によって座談会「明日の焼物の為に-協会賞受賞展(名古屋) にて」(『陶説』第95号掲載) が開かれる。
やきもの教室7「明初染付と赤絵」、8「楽代々展」、9「東洋の三彩」、10「志野」、11「古代の陶瓷」、12「古備前」開催・冊子発行。
[この年の出来事]
第1回女流陶芸展始まる。
9月、第7回日本伝統工芸展、この年から一般公募となる。
1961年(昭和36年)
4月、第11次定時総会。協会・日本経済新聞主催「古瀬戸総合展」(日本橋白木屋)開催。
6月、協会主催「やきもの教室・柿右衛門展」開催中の日本橋白木屋にて、受賞作家の表彰式を行う。第3回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
11月、協会・中央公論美術出版共催「ペルシァ名陶展」(日本橋白木屋)開催。
12月、瀬川昌也(理事) 死去。
やきもの教室13「酒器」、14「鍋島」、15「柿右衛門」、16「三島」、17「御本茶碗」、18「伊賀・信楽」開催・冊子発行。
[この年の出来事]
加藤土師萌、重要無形文化財保持者に認定される。
1962年(昭和37年)
3月、協会主催「やきもの教室・仁清展」開催中の白木屋にて、受賞作家の表彰式が行われる。
4月、第12次定時総会。協会主催「近世中国名陶展」(日本橋白木屋)開催。
6月、田村耕一、藤原建、井上昇三、磯野風船子(信威) 、黒田領治による座談会「作家に聴き作品に物申す」(『陶説』第113号掲載) が行われる。第4回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
8月、協会・読売新聞社共催「世界の硝子名品展」開催。
12月、協会主催「宋磁名品展」。
やきもの教室19「嘉靖金襴手」、20「仁清」、22「初期伊万里」、23「赤絵伊万里」開催・冊子発行。
1963年(昭和38年)
春、昭和37年度、日本陶磁協会賞は該当者なしと決議。
4月、第13次定時総会。
6月、第5回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
7月、協会主催「芸能人愛蔵古美術展」(日本橋白木屋)開催。
10月、協会主催「第1回現代陶芸巨匠十人展」(日本橋三越特別室) 開催。
やきもの教室24「文房具」、25「茶陶唐津」、27「香合」、28「漢六朝の土偶」開催・冊子発行。
[この年の出来事]
6月、富本憲吉死去。
板谷波山、川喜田半泥子死去。
1964年(昭和39年)
1月、協会主催「百碗展」(日本橋三越) 開催。
4月、第14次定時総会。協会・読売新聞社共催「唐宋名陶展」(日本橋白木屋)開催。
6月、協会主催「ジョッキ展」(日本橋三越) 開催。
この年、第6回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
やきもの教室29「穎川・木米」、30「黄瀬戸・瀬戸黒」、31「夏茶碗」、32「ペルシア陶器」、33「乾也」、34「オランダ陶器」開催・冊子発行。
[この年の出来事]
10月、東京オリンピック開催。
1965年(昭和40年)
4月、第15次定期総会。
10月、協会主催「徳利、ぐい呑展」(日本橋三越) 開催。この年、第7回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
やきもの教室35「薩摩焼」、36「古瀬戸」、37「天目」、38「蓮月」、39「天啓赤絵」、40「のんかう」開催・冊子発行。
1966年(昭和41年)
この年より、吉田耕三が日本陶磁協会賞の選考委員に加わる。
4月、第16次定期総会。新役員として、大屋敦、内藤匡が顧問、田山方南が理事、山田健太郎が監事に就任する。
5月、第8回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
[この年の出来事]
10月、出光美術館開館。
11月、河井寛次郎死去。この年、人間国宝今藤長十郎の構想で「陶裳会」が結成される。
1967年(昭和42年)
5月、第17次定期総会。
8月、第9回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。初日、三越の特別食堂別室にて表彰式を行う。
[この年の出来事]
1月、第1回陶裳会展(日本橋三越) 開催。
3月、第1回女流陶芸公募展(京都府ギャラリー) が始まる。
11月、金重陶陽死去。
1968年(昭和43年)
2月、佐藤進三(理事) 死去。
5月、第18次定期総会。新役員として、保田憲司、山田健太郎、小森新一(松庵) が理事に就任する。第10回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。梅澤記念館開館。
9月、加藤土師萌(理事) 死去。
[この年の出来事]
6月、石黒宗麿死去。文化庁が設置される。
11月、浜田庄司が文化勲章を受賞する。
1969年(昭和44年)
3月、瀬津伊之助(理事) 死去。
5月、第19次定期総会。
8月、梅澤彦太郎(理事長) 死去。
この年、第11回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。
[この年の出来事]
10月、金重陶陽賞が設定される。
1970年(昭和45年)
3月、第2回詮衡委員会にて、第二代理事長に森村義行(学校法人森村学園理事長)を選出。三上次男、梅澤信二が理事に就任。
5月、第20次定期総会。
9月、第12回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。三越美術部特別室にて受賞作家の表彰式を行う。
11月、森村義行(理事長) 死去。
[この年の出来事]
4月、藤原啓、三輪休和が重要無形文化財保持者に認定される。
1971年(昭和46年)
5月、第21次定時総会をクラブ関東にて行う。第三代理事長に濱口雄彦(元東京銀行頭取、元全国銀行協会連合会会長)を選出。[1971~76年]
6月、松永安左衛門(顧問) 死去。
『陶説』に掲載された「選考委員会報告」によれば、8月に行われた第16回日本陶磁協会賞の選考委員会で、いままでの選考方式の再検討が行われ、結果、答申事項として次の八項目が選考委員会より理事会へ提出された。一、本年分(前年度対照) 選考は従前のを踏襲する。一、四十歳制限を棚上げし、年齢に若干の幅を広伸する。一、協会賞作家と否とに関らず、業績極めて顕著なる作家に対し、協会賞とは別に大賞(金賞) を授け、その功績を内外に顕彰する。一、日本経済新聞社(予定) と共催(又は協賛) にて、協会賞候補展を東京三越にて開催する。一、同展出品作品及び作家の業績を総合、優秀なる者に日本陶磁協会賞を贈る。一、同展には授賞作家の協力出品をも展観、大賞選考資料とする。一、同展の候補選抜は、作家の所属団体(日展・日本工芸会・新匠会・走泥社・他) の推挙者を協会賞委員が会議決定する。一、選考委員に作家からの参加を希望、左記三氏を推薦する。八木一夫(走泥社・京都) 、田村耕一(日本工芸会・栃木) 、河本五郎(日展・愛知) 以上。因みに、この時の選考委員は、井上昇三、吉田耕三、鶴岡健吉の三名と小森松庵、磯野風船子、伊東祐淳、黒田領治の4理事。
秋、第13回日本陶磁協会賞新旧受賞作家展(日本橋三越) 開催。
11月、受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。表彰式後、全国支部長会議を初めて開催する。
畠山一清(顧問) 死去。
[この年の出来事]
荒川豊蔵が文化勲章を受賞する。
1972年(昭和47年)
春、昭和46年度、日本陶磁協会賞は該当者なしと決議。この年より、年齢制限を廃止する。
5月、第22次定時総会。谷川徹三、服部正次、根津嘉一郎の3氏を顧問に選出する。
10月、第14回日本陶磁協会賞受賞作家展(日本橋三越) 開催。保田憲司(理事) 死去。
[この年の出来事]
9月、黒田陶苑(銀座7丁目店) 新築開店。
1973年(昭和48年)
5月、第23次定時総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。因みに、この時の理事は浜口雄彦、磯野信威、伊衆祐淳、黒田領治、瀬川功、中本守、岡田宗叡、三上次男、梅澤信二、小山冨士夫、広田熙、繭山順吉、久志卓眞、小森新一、田山方南、田中作太郎、山田健太郎、堀口捨巳、柿本保、小田栄作、保田憲司、満岡忠成、加賀田勘一郎、本多静雄の24名、監事は古屋芳雄、今泉元佑、平野龍治の3名。
11月、久志卓眞(理事) 死去。
12月、第15回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。この年より「日本陶磁協会賞受賞作家展」の名称を改め、日本陶磁協会賞受賞作家、金賞受賞作家、招待作家の3部で構成した。
[この年の出来事]
2月、京都に河井寛次郎記念館開館。
7月、東洋陶磁学会設立。
1974年(昭和49年)
2月、古屋芳雄(監事) 死去。
5月、第24次定期総会。
8月、第16回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。開催初日、受賞作家の表彰式を行う。
[この年の出来事]
11月、富本憲吉記念館開館。
1975年(昭和50年)
5月、第25次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。この年より、常任理事の役割分担として、磯野信威が企画担当、伊東祐淳が総務担当、黒田領治が支部担当、小山冨士夫が学術担当、瀬川功が経理担当を請け負う。
7月、第17回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。協会主催「第1回備前古窯跡見学会」を企画。昭和58年の14回まで8年間、各地の古窯跡および窯業地を見学する。
10月、小山冨士夫(理事) 死去。
1976年(昭和51年)
5月、日本陶磁協会創立30周年記念大会として、梅澤記念館にて「記念名品展」、霞会館にて記念講演会が行われる。第26次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
8月、第18回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
10月、浜口雄彦(理事長) 死去。後任として第四代理事長に、瀬川功(医学博士)を選出。[1976~84年]
[この年の出来事]
4月、十二代中里太郎右衛門が重要無形文化財保持者に認定される。
1977年(昭和52年)
5月、第27次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
この年、第19回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
[この年の出来事]
4月、近藤悠三が重要無形文化財保持者に認定される。
11月、東京国立近代美術館工芸館開館。藤原建死去。
1978年(昭和53年)
5月、第28次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、井上昇三、小田栄一、楢崎彰一、繭山康彦が理事に、西村清が監事に就任する。
6月、日本陶磁協会友好訪中参観団が中国を訪ねる。
9月、第20回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
10月、加賀田勘一郎(理事) 死去。
[この年の出来事]
1月、濱田庄司死去。
11月、楠部彌弌が文化勲章を受賞する。
1979年(昭和54年)
5月、第29次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第21回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。この時、受賞作家、選考委員、協会理事、有志により懇親会が催される。
[この年の出来事]
八木一夫死去。
1980年(昭和55年)
この年の選考委員は吉田耕三、清原邦武と瀬川功、磯野信威、伊東祐淳、井上昇三、梅澤信二、広田熙、黒田領治の各理事。
5月、第30次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第22回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
1981年(昭和56年)
5月、第31次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
[この年の出来事]
9月、第23回現代陶芸選抜展(日本橋三越)開催。
10月、三輪休和死去。
1982年(昭和57年)
5月、第32次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第24回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
[この年の出来事]
12月、吉賀大眉が芸術院会員となる。
1983年(昭和58年)
5月、第33次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第25回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
[この年の出来事]
2月、加守田章二死去。
3月、近藤豊死去。
4月、塚本快示、三輪休雪が重要無形文化財保持者に認定される。
11月、藤原啓死去。
1984年(昭和59年)
5月、第34次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、北村謹次郎、澤田由治、田村耕一、徳川義宣、戸田鐘之助、西田宏子、藤本能道、村山武、吉岡庸治が理事に就任する。
9月、第26回現代陶芸選抜展(日本橋三越) 開催。
11月、瀬川功(理事長) 死去。第五代理事長に、大河内信威(磯野風船子/美術史家)を選任。[1984~90年]
[この年の出来事]
6月、十二代中里太郎右衛門が日本芸術院賞を受賞する。
11月、第1回藤原啓記念賞を鈴木治が受賞。
12月、楠部彌弌死去。
1985年(昭和60年)
5月、第35次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第27回現代陶芸選抜展(日本橋三越)開催。
[この年の出来事]
4月、清水卯一、金城次郎が重要無形文化財保持者に認定される。
8月、荒川豊蔵死去。
11月、熊倉順吉死去。
12月、加藤唐九郎死去。
1986年(昭和61年)
4月、第1回日本陶磁協会賞受賞作家展がこの年より名古屋松坂屋にて開催される。
5月、第36次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
6月、協会主催の「現代陶芸特別展」(壺中居)開催。
9月、第28回現代陶芸選抜展(日本橋三越)開催。
[この年の出来事]
1月、9代・大樋長左衛門死去。
3月、藤本能道、田村耕一が重要無形文化財保持者に認定される。河本五郎死去。
この年、第1回八木一夫質現代陶芸展(伊勢丹美術館)開催。
1987年(昭和62年)
4月、第2回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
5月、第37次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、黒田和哉、高橋三朗が理事に、瀬津厳が監事に就任する。
9月、第29回現代陶芸選抜展(日本橋三越)開催。
11月、岡田宗叡(理事)死去。
[この年の出来事]
1月、田村耕一死去。
1988牢(昭和63年)
4月、第3回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
5月、第38次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第30回現代陶芸選抜展(日本橋三越)開催。
[この年の出来事]
1月、宇野三吾死去。
この年、MOA岡田茂吉賞、第1回(絵画部門、工芸部門)が授与される。
1989年(昭和64年・平成元年)
4月、第4回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
5月、第38次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
9月、第31回現代陶芸選抜展(日本橋三越)開催。
10月、協会主催の第二回現代陶芸特別展(壺中居)開催。
[この年の出来事]
5月、十三代今泉今右衛門が重要無形文化財保持者に認定される。
1990年(平成2年)
1月、平成元年度日本陶磁協会賞選考より、福田旻、長谷部満彦が選考委員として加わる。
4月、第5回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
5月、第40次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、鈴木治、竹内順一、長谷部楽爾、林屋晴三、弓場紀知が理事に就任する。
7月、大河内信威(理事長)死去。
8月、臨時総会を医事新報社会議室で開き、第六代理事長に、根津嘉一郎(東武鉄道社長、根津美術館館長)を選出。[1990~2002年]
10月、井上昇三(理事)死去。
この年は、現代陶芸選抜展は開催されず、翌年より壺中居に会場を移し、展覧会名を「日本陶磁協会賞受賞作家展」に戻す。
[この年の出来事]
6月、塚本快示死去。
9月、岡部嶺男死去。
1991年(平成3年)
2月、第32回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。開催初日に選考委員会が開かれた。
5月、第41次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
6月、第6回日本陶磁協会賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
9月、北村謹次郎(理事)死去。
[この年の出来事]
2月、松風栄一死去。
10月、吉賀大眉死去。
1992年(平成4年)
2月、第33回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。
5月、第42次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。藤本能道(理事)死去。
9月、第7回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
[この年の出来事]
4月、江崎一生死去。
1993年(平成5年)
2月、第34回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。
5月、第43次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、山本正之が監事に就任する。松井康成が重要無形文化財保持者に認定される。
9月、第8回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
11月、高橋三朗(理事)死去。
1994年(平成六年)
2月、第35回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。
5月、第44次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
8月、満岡忠成(理事)死去。
9月、第9回日本陶磁協会賞受賞作家展(名古屋松坂屋)開催。
10月、澤田由治(理事)死去。以後、名古屋展を中止する。
[この年の出来事]
5月、鈴木蔵が重要無形文化財保持者に認定される。
1995年(平成7年)
1月、第36回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。この年より、宮島格三が選考委員として加わる。広田熙(理事)死去。
5月、第45次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、伊藤郁太郎、大樋長左衝門、古賀健蔵、鍋島光残、長谷部満彦、宮島格三が理事に就任する。
[この年の出来事]
5月、井上萬二、加藤卓男が重要無形文化財保持者に認定される。
12月、金重道明死去。
1996年(平成8年)
1月、第37回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。
5月、第46次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
[この年の出来事]
4月、藤原雄、島岡達三が重要無形文化財保持者に認定される。
5月、小野珀子死去。
6月、谷口良三死去。
11月、浅蔵五十吉が文化勲章を受賞する。
1997年(平成9年)
2月、第38回日本陶磁協会賞受賞作家展(壺中居)開催。この年より、中ノ堂一信が選考委員に加わる。
5月、第47次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
6月、梅澤信二(理事)死去。
12月、日本陶磁協会設立50周年記念企画として『陶説総目次』を刊行、内外の研究機関に配布する。
[この年の出来事]
5月、三浦小平二、徳田八十吉が重要無形文化財保持者に認定される。
1998年(平成10年)
2月、第39回日本陶磁協会賞受賞作家展および小品展(壺中居)開催。
5月、第48次定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。新役員として、梅澤信子が理事に、石黒久義、栗原俊太郎が監事に就任する。
[この年の出来事]
5月、鈴木治が日本芸術大賞受賞。山田常山が重要無形文化財保持者に認定される。
6月、今井政之が日本芸術院賞受賞。
1999年(平成11年)
1月、「日本陶磁協会賞展-第40回記念・歴代受賞作家による-」が銀座・和光6階ホールにて開催される。この年より金子賢治が選考委員に加わる。
3月、古賀健藏(理事)死去。
5月、第49回定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。
2000年(平成12年)
1月、「第41回日本陶磁協会賞展」(和光ホール)が開催される。山本正之(監事)死去。
5月、第50回定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。服部禮次郎、金子賢治が理事に就任する。
2001年(平成13年)
1月、「第42回日本陶磁協会賞展」(和光ホール)が開催される。この年より、本作品と共にテーマ作品(お茶を愉しむ)が展示される。この年より、唐澤昌宏、森孝一が選考委員に加わる。
4月、鈴木治(理事)が死去。
5月、第51回定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。神通豊が理事に就任する。
9月、日本六古窯サミット21一備前一「日本六古窯名品展」を後援する。
[この年の出来事]
5月、酒井田柿右衛門、吉田美統が重要無形文化財保持者に認定される。
10月、13代今泉今右衛門、藤原雄死去。
11月、山田光死去。
2002年(平成14年)
1月、「第43回日本陶磁協会賞展」(和光ホール)が開催される。この年のテーマは「遊ぶかたち」。開催初日に三笠宮寛仁親王妃信子殿下をお迎えし、パーティーを行う。この年より、梅澤信子、西田宏子、弓場紀知が選考委員に加わる。
2月、根津嘉一郎(理事長)死去。
3月、第七代理事長に、服部禮次郎(セイコーホールディングス会長)を選任。[2002~10年]
5月、第52回定期総会並びに受賞作家の表彰式を日本医事新報社会議室にて行う。畠山尚子、根津公一が理事に、後藤康雄が監事に就任する。
6月、2002年度、第2回理事会および懇親会をクラブ関東にて行う。
10月、2001年度日本陶磁協会賞・金賞受賞記念「鈴木五郎・森陶岳展」(和光ホール)が開催される。三笠宮寛仁親王妃信子殿下をお迎えし、受賞作家の表彰式並びに祝賀パーティーを行う。
2003年(平成15年)
1月、「第44回日本陶磁協会賞展」(和光ホール)が開催される。この年のテーマは「飾る」。
4月、日本陶磁協会仙台支部設立50周年記念「特別展 伊達家の茶の湯」(仙台市博物館)に協力。中日新聞主催「桃山陶に見せられた7人の陶芸家」展に企画協力。朝日新聞社共催「陶の詩人 小山冨士夫の眼と技」展を後援。同展の根津美術館開催に伴い、「第1回やきもの文化講座」(講師: 長谷川楽爾、弓場紀知)をNHK青山荘にて開催する。
5月、第53回定期総会を日本医事新報社会議室にて行う。
7月、2002年度年度日本陶磁協会賞・金賞受賞記念「金重有邦・柳原睦夫展」(和光ホール)が開催される。同展の初日夕刻より、受賞作家の表彰式並びに祝賀パーティーを行う。
10月、「第2回やきもの文化講座」(講師: 林屋晴三)をNHK青山荘にて開催する。
[この年の出来事]
1月、加藤達美死去。
4月、松井康成死去。
11月、今井政之が芸術員会員に選ばれる。
2004年(平成16年)
1月、日本陶磁協会賞制定50年記念「第45回日本陶磁協会賞展」(和光ホール)開催。この年のテーマは「酒宴を演出する器」。特別展示として作家10人の「愛蔵の酒器」展。また、日本陶磁協会賞制定50年を記念して、銀座・東武ホテルにて祝賀パーティーを行う。
※敬称略

茶事を兼ねての理事会 最初期のメンバー
前列左から、黒田領治、佐藤進三、梅澤彦太郎、瀬川昌世、加藤義一郎、内藤匡
繭山順吉、久志卓眞、小森新一、1人おいて、小山冨士夫、満岡忠成。

座談会「十二の瞳が輝けば」、1956年(昭和31年)
前列左から、川端康成、里見弴。後列左から、繭山順吉、小山冨士夫、梅澤彦太郎、磯野風船子。

座談会「十二の瞳が輝けば」、1956年(昭和31年)
前列左から1人おいて、小山冨士夫、小林秀雄、川端康成。


1958年(昭和33年)
「日本陶磁史名品展」(日本橋高島屋)

1964年(昭和39年)
前列左から3人おいて、出口直日、林屋晴三。後列左から2人おいて、小山冨士夫、松本清張、谷川徹三。

梅澤記念館開館、1968年(昭和43年)

全国に支部(現在の後援会)が拡がり、実物を見ながらの講演会が行われた。

公益社団法人 日本陶磁協会

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